二極思考は子供の人生を追い込む

発達障害当事者の二極思考のオマージュ 教育

みなさまお疲れ様です。

更新が三日ほど空いてしまいました、申し訳ないです(;´・ω・)

現実はなかなか厳しいもので、僕の職場が経営的に結構厳しいというような噂が流れ、もしかしたら1、2年以内に危ういかもという話が出ているようです。安住の地がなくなるとしたら寂しいですね💦(もちろんまだ決まったわけではありませんが(;’∀’))

仕事自体は、僕はゴキブリ並みにしぶといので適当にどこかに潜り込んでうまいことやります。

ただ、また夜の仕事をやるかどうかと言ったら、多分やらないと思います。

東京の方の情勢は全く分かりませんが、名古屋の夜業界はもう虫の息といっていいと思います。もちろん芸能人御用達の一部の最高級店は大丈夫だと思いますが、今一番苦しいのは中級店です。女の子の時給を簡単に下げてしまったらまず人が集まらないし、ドリンクの値段を下げてしまったら利益が出せません。

そうなると、まず真っ先にカットされていくのはボーイの給料からでしょう。

今後黒服の待遇は悪くなる一方だと思います。

 

知り合いの女の子で風俗で長いこと働いている子がいますが、12月の繁忙期でもかなり暇なようで、頭を抱えているそうです。

この状況は多分改善しないでしょう。なぜならもう世の中が金のかかる娯楽をする余裕がなくなっているからです。

もっと簡単に言えば、世の中から求められなくなっているんですよね。

今主流になりつつあるのはパパ活とかで、名前と姿を変えて新しいお金の稼ぎ方に変遷していってます。

この変化に対応するのが遅い地方の店舗型のお店は、水にしろ風にしろ、今後厳しいでしょう。

 

前置きはさておき。

今日のお題は発達障害当事者の思考と教育環境について。

人はだれでも皆、育った環境によって育まれた思考回路を元に生きていきます。

人生の失敗をなんでもかんでも親のせいにするな」というもっともらしい意見もありますが、ゆがんだ認知を植え付けられて、その思考のもとに人生を展開していけばどうしても暗い一生にならざるを得ません。

今現在の失敗が直接親と関係なくても、親から植え付けられた歪んだ認知とか人格は、よほど自分で気を付けていないとすぐ顔を出してしまいます。

特に多いのが、二極思考。

親が二極思考だと、子供も二極思考になりやすいです。

 

たとえば。

中学受験の勉強を本気でやるか。それとも家から出ていくか。

 

これ、僕が小学校4年10歳の時突き付けられた選択肢です。

何それ?って思いませんか?

今だったらいろいろ思いついて言い返せますし、家を出ていくことも全く問題ありませんが、さすがに10歳の自閉症の子供にこれはないだろうと思いますよね。ぶさえもん家は勉強を断ったら家を出ていかなくてはならないそうですよ(笑) 習い事の中国拳法も何の相談もなくいつの間にか勝手に辞めさせられてました。

当然、勉強は頑張ってもできなかったので、僕は家にいてもらっては困る存在なのだと常々思わされるわけです。

でも、冷静に考えて、勉強ができないくらいで家から追い出されないといけないのでしょうか?二極思考の選択を迫られると、幼い子供はそれ以外の選択肢は自分には与えられていないのだと本気で思い込みます。

実際には、それ以外の選択肢なんてなんぼでも思いつきますよね。

・勉強ができないとしても、何か1科目くらい好きなのがあれば、それに特化してみる。

・勉強ができないとしても、スポーツを徹底的にやらせてみる。(一流選手になれなかった時の厳しさなんて、小学校で知る必要ないでしょう。)

・今の学校や塾がどうしても合わないなら、フリースクールを探して、興味を持ったものを自由に勉強できる環境を与えてみる。

・その代わり、自分の好きでやると決めたことなのだから、自分なりに結果を出すことにこだわると約束させる。

 

など、選択肢は無限にあるし、子供と「交渉」することだってできるわけです。親として完全に勉強を放棄する選択肢が容認できないなら、子供ときちんと交渉すればいいわけです。そういったことなく、ただ二択を迫ってしまうのは、教育上明らかに失敗と言わざるを得ません。

子供はそういったことを何度となく繰り返されることで思考回路が固まっていき、他人が与えてきた二択の中からしか答えを出せなくなります。

自分から他にもこういうやり方あるんじゃないの?と思いついたり、それを人の気分を害さずに提案する能力を身につけずに育ってしまうんです。

 

学校にいる間はそれでもそこそこやっていけます。

大人になったら、どこかの時点で「自分はどうしたいのか、どうありたいのか」という問いに答えられるようにならないといけませんよね。

イエスかノーかを突き付けられ、どちらかを選べばいい(選ばざるを得ないと思わされた)人生から、選択肢も答えもどれを選ぶかすべて自分で決めないといけない世界に来ると身動きが取れなくなるんですよね。

大学院に進んで突然研究が出来なくなる人とか、大学に入って何も勉強が出来なくなる、レポートで何を書けばいいか分からなくなる人は大体こういう背景があります。

 

こういう他人が与えてくる二択から解放されるには、

あえて負けてみる

というのもひとつの手かもしれません。

僕は大学に行くか?という問いにイエス。

卒業したら就職するか?という問いにイエス。

ただ単にみんながそうするからイエスと答え続けてきました。この場合のノーとは、就職せずフリーターを続けたり、趣味に走ったりすることも含まれます。親の感覚でいうところの「負け組」ということになるんでしょう。

 

ですが、負けていいんじゃないでしょうか?

僕は新卒でボーナスも有給もしっかりある大きな優良企業に就職しましたが、業務についていけず「負け」ました。

その後もあえてしばらく昼の世界にもどらず、世間的には「負け」続けました。

でも、そのおかげで人生の選択肢は2択じゃないと気づかされました。

大企業に就職してなくても、立派な学歴や肩書なんか持ってなくても、家が金持ちじゃなくても、発達障害でも、手足がなくても幸せに生きている人は現実にたくさんいる。

 

結局自分を豊かにできるかどうかは自分の心次第だと気づくまで、ここまで遠回りをしました。

教育がもうちょっとマシなら20代で気づけたかもしれませんが、自分なりに努力してこれだけ時間がかかってしまいました。

みなさまにはもっと早くから楽しい人生を送れるように、これからも情報発信頑張ります。

 

これからも皆さんにとって有益な情報をどんどん提供していきます。

応援よろしくお願いいたします!


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