<第54回目>嫌われる勇気があまり好きではない理由

<第54回目>嫌われる勇気があまり好きではない理由

みなさまお疲れ様です。

3、4年前くらいでしょうか、「嫌われる勇気」という本が結構話題になりましたね。

いわゆるアドラー心理学というやつで、キャッチコピーが「トラウマは存在しない」とか、「あなたの現状はあなたが自ら望んで作り上げたもの」といったセンセーショナルなものでしたね。

まぁ、それが本当かどうかは時間の経過が答えを出してくれた通りで、特に顕著な効果など出していないですよね。なぜか書評だとすごく好意的に受け止められているのに、現実で役立ているとか、一切聞かなくなりました。

実際Twitterでは毎日心の問題を抱えて苦しみを吐き出している人が絶えません。

 

てかさ、トラウマは存在しないって、

 

んなわけなくない?(;^ω^)  それ東北大震災の大津波経験した人に面と向かって言えるのかね?

大量の水を見ると震えてしまうとか、今でも海の動画が流れそうになったらチャンネルを変えてしまうという方に、「トラウマはあなたが望んで作り出した幻影に過ぎません」とか、あなたが変われば世界の見方も変わるとか、言えなくないですか?

別に極端な例じゃないですよね?あれだけ沢山の人が今でも心の傷を負ったまま必死に生きているのであって、望んで作った現実なわけないでしょう。

仮にあの大事故からきれいさっぱり立ち直って立派に生きている方がいても、何の関係もない第三者に、トラウマなんて存在しないって言われたらどんな気持ちになるでしょうか?

 

もっと身近な例でいえば、いじめを経験した人なら分かると思いますが、一度学校に行くことに臆病になると、朝お腹が痛くなったり、吐いてしまったりすることもよくありますよね。

いじめっ子の表情一つ、一挙手一投足が気になってしまい、びくびくして過ごすこともあるでしょう。

学生の頃のいじめから解放されて、何とか普通の社会生活を送れるようになった人に、いじめは「あなたが望んで引き起こしたことだ」と言われたらどう思いますかね?

ふざけんなって思いませんか? 容姿をからかわれることが自分の望んだ現実なわけなくないですか?中には自分の不注意や不用意な発言が原因で引き起こしてしまういじめもありますが、基本的に本人が望んで起こす事態じゃないのはわかりきったことですよね。

 

この心理学では事象の原因が「本人か、周りの世の中のすべて」かの二元論に陥ってるんじゃないでしょうか? 世の中すべて自分次第で生きられるほど甘くないですし、自分の責任でないことの尻ぬぐいをさせられることもたくさんあります。

これだけ複雑化した社会の中で、二元論ですべて説明しようなんて無理ですよ。

嫌われる勇気も必要なら、嫌われない慎重さ、臆病さも持ち合わせていなければ、日本の職場で生きていけるわけ無いんです。

嫌われる勇気があえて必要になるのは、経営者や芸能人、政治家とか、どれだけ努力してもアンチが大量に発生する一部の特殊な職業だけでしょう。

勿論僕もこの本を購入して読みましたが、最初から最後までしっくりこない違和感しかなかったです。おそらくアドラー先生も本来はこんなニュアンスで話したのではないんじゃないかな?

自分が正しいと思って起こした行動と、それによって起きた結果がどうあれ自信を持つとかそういうニュアンスの話じゃないのかなと思いますけどね。

自分が望んでいない行動を無理にでもしてしまったら、それが現実のフィードバックとして返ってくるから、自分自身が納得できない。それでは自分の人生ではなくなってしまうから、多少周囲と軋轢を生むことがあっても、嫌われることを恐れずに自分の意思を貫こう、とかそういう意味だと思うんですけどね。

後半は僕の勝手な解釈ですが、こう言ってしまえばただの自己啓発本なってしまうので、あえて衝撃的なコピーを採用したのかもしれませんね。

 

というわけで、僕があまり「嫌われる勇気」が好きになれない理由でした。

僕は嫌われる勇気も、嫌われない臆病さも、どちらも持っていたいです。

 

これからも皆さんにとって有益な情報をどんどん提供していきます。

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